京王線の事件で鉄道会社を叩くのはお門違いにもほどがある

ハロウィンの日に混雑した京王線で刃物を振り回して十数名の乗客が負傷する事件が起きた。

事件の詳細などはニュース等で取り上げられているのでここでは書かないが、この事件が起きたことで
再び鉄道会社に対して安全対策は万全だったのかなどと言う声がネットでちらほら見える。

結論から言えば、鉄道でこういった無差別テロのような事件が起きて鉄道会社を叩くのはお門違いにもほどがあるって話だ。

安全対策を何重にも重ねた結果である

乗客が非常用ドアコックを引いたせいで本来の停止位置から2メートル車両がズレてしまって、結果ホームドアと車両のドアを開けることができず、乗客は窓から避難する羽目になったことが批判されているらしい。

正直、ふざけるなという話である。

まず非常用ドアコックを引いて乗客が外に出ようとしているのに、列車が自動的に止まらなかったらそれはそれで安全対策的にどうなのかって話になるだろう。

つまり、安全対策に安全対策を重ねた結果なのである。

そもそも乗客が自分の判断でドアを開けて外に出ることがどれだけ危険なのか分かっていなさすぎる。

都市部の鉄道はほとんど複線だから、外に出た瞬間に反対方面の列車にはねられる可能性があるしそうでなくても線路上は敷石のせいで歩きづらいし、もしかりに橋の上で降りてしまった場合転落の危険もある。

非常用ドアコックが不要だということまでは言わないが、乗務員が避難誘導するまで勝手なことはしないに越したことはない。

今回の事件で非常用ドアコックの存在を知って、もしもの時のために使い方を覚えておこうなどと言う意見も見られたが上記の理由で非常時であっても使うのはやめたほうがいいと言っておきたい。

人身事故対策にホームドアを早急に整備しろと言ってたのはどこの誰だ?

今回の事件で安全対策、もっといえば人身事故対策のために整備されたホームドアがかえって避難をしにくくさせたという声もある。

首都圏を中心に昨今、人身事故が多いことで早急にホームドアを設置しろという世間の声に答える形で
決して安くないコストを支払ってホームドアを整備した結果それを批判するとか、どこまで勝手なのかって話だ。

ホントに世間は鉄道というものに対する無知がひどいんだなと今回の事件で痛感した。

これは別に鉄道オタク的な知識の話をしているのではない。

JRだろうが私鉄だろうが世間の人々が思っている何倍も日々安全対策に力を注いでいるのである。
それを知らないでよくもまあ批判できたものだと、元鉄道会社職員として思う。

性善説側に立ったシステムだから日本の鉄道は便利なのだと知るべき

鉄道会社は日々、安全対策に心血を注いでいるわけだがそれにしたって限界というのはある。

どれだけ安全対策をしたところでいわゆる「無敵の人」から完全に身を守ることなんて不可能なのだ。

そもそも日本の鉄道会社は「性善説」に立ったシステムを作っているから人々は鉄道を便利に利用できるのである。

先ほどホームドアの話が出たが、ホームドアは正直飛び越えようと思えば簡単に飛び越えられるくらいの高さである。

これに対して高さが足りないから本気で列車に飛び込もうとしてる人を止められないぞというのは浅はかだ。

そんな人のことを想定していないのだ。

誤解している人が多いと思うがホームドアはあくまで「不慮の事故」を防ぐためのものであって、自ら積極的にホームドアを飛び越えて列車に飛び込もうとする人を止めるためのものではない。

そんな人がたくさんいることを前提にするとコストが高くなってしまう。

つまり基本的にはたいていの人はホームドアを飛び越えないだろう、しかし万が一のこともあるだろうから不慮の事故を防げる程度の高さで作ろう、こういった考えでホームドアは整備されているのだ。

自動改札機にしてもそうである。

あれだって普通に突破しようと思えば簡単にできる。

しかしほとんどの人はちゃんときっぷを通すなり、ICカードをタッチして運賃をキチンと精算するという「性善説」に立ったうえで設計されているのだ。

世の中のほとんどの人が自動改札機を突破して運賃を踏み倒すという考えに立っていれば、そもそも自動改札機など置けない。

そうなると昔ながらの有人改札で乗客一人一人をチェックしないといけない。これでは朝夕の通勤ラッシュにパンクしてしまう。

性善説に立ったシステム設計がなされているからこそ、我々は鉄道を便利に利用できるのだ。

危険人物がいること前提のシステム設計になった時に不利益をかぶるのは我々だ

今回の事件を受けて乗車時の持ち物検査をすべきでは?という意見もあるがこれを機にいわゆる「危険人物」がいること前提のシステム設計に鉄道会社が舵を切った時どうなるかを考えてほしい。

今までの「性善説」ではなくいつどこにヤバいやつがいるかわからないという前提の「性悪説」に立ったシステムは確かに安全かもしれないがとても不便になるのだ。

朝夕の通勤通学ラッシュの時間帯に飛行機の搭乗手続きなみに、手荷物検査だの何だのやるのかって話。日本中がパンクしてしまうし、そのコストは最終的に乗客である我々が負担することになることを知っておかなければいけない。

もちろん昨日より今日、今日より明日と日々どうすればより安全に鉄道が利用できるようになるかを
考えるのは大切だし、その取り組みは今後も続けていく必要がある。

しかし、それだって限界があるし結局のところ「無敵の人」が本気で何かをやらかせば被害ゼロにするのはまず不可能だということを言いたいのだ。

本気で絶対にこういった事件が起きないようにするための対策をすれば、不便不利益を被るのは普段から鉄道を利用している我々なのだ。

絶対に事件事故が起きないレベルの安全を求めて日々の不便さを受け入れるのか、それともそういったリスクを負いつつ今まで通りの鉄道の便利さを享受し続けるのか、それが問われている。

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